●元離宮二条城
慶長7年(1602)、徳川家康の命により、奉行板倉勝重が差配、市中の多数の労役者の力により着工され、翌年3月に完成した。
京都の守護と上洛の際の宿所がその目的で、二条新御所などと呼ばれ、はじめは小規模のものであった。
家康の征夷大将軍せいいたいしょうぐんの拝賀および二代秀忠の将軍宣下は、この二条城で行われた。
その後も、造営は続けられ、伏見城の遺構をここに移し、寛永3年(1626)、三代将軍家光が、ここに後水尾天皇を迎えた頃、その規模はもっとも拡大され、五層の天守閣もそなえていた。
しかし、寛延3年(1750)、雷火のため天守閣を焼失、また、天明8年(1788)には、市中の大火にあい、本丸殿舎、櫓やぐらの多くを焼失した。
文久3年(1863)、十四代将軍家茂が入城、攘夷じょういの実行を誓い、また、慶応3年(1867)には、十五代将軍慶喜が、この城中で大政奉還を決意し、上表の使者を出している。
明治4年、二の丸内に京都府庁が設置され、明治17年宮内省に属し、二条離宮と改称、明治26、7年には、本丸御殿跡に京都御所にあった桂宮御殿が移築され、本丸御殿と呼称されている。
昭和14年(1939)、京都市の所有に移り、史跡に指定された。
城構は、平城ひらじろで、本丸・二の丸の二部よりなり、周囲には幅13mないし17mの濠ほりをめぐらし、東西約480m、南北360mあり、国宝二の丸御殿をはじめ、台所・御清所おきよどころ・東南・西南両隅櫓、東・北大手門・土蔵・本丸御殿などの重要文化財がある。
【案内板より】
3月 29th, 2008 at 10:13:44