弘前城
今回は、東北唯一の現存天守が残るお城、弘前城についてご紹介しますね。
宮城で婚活し、秋田でお見合いしてきたとこの前メールをもらったので今回は東方地方の有名なお城について書きたいと思います。
元亀2年(1571)、大浦為信が南部氏の勢力を津軽地方から駆逐し、豊臣秀吉の小田原攻めに参陣して津軽4万5千石を安堵され、姓を津軽氏に改めた。
為信の近世城郭建設の意志を受け継いだ第2代藩主・津軽信牧によって、慶長16(1611)年に築かれたのが、この城である。
本丸・二の丸・三の丸・四の丸・北の郭・西の郭の6郭と、それを囲む三重の堀と土塁がほぼ完全な形で残っている。
本丸南の虎口の前には角馬出がつけられていて、当初は南西隅に五重の天守、南東・北西に隅櫓が建っていた。
しかしその天守は1627年の落雷により内部の煙硝に引火・大爆発してしまい、そのまま180年再建されなかった。
ようやく幕末近くの1810年に、幕府の許可を得て南東の辰巳櫓を改築し御三階櫓(天守代用)とした。
西側をのぞく本丸周囲のみ石垣が用いられているが、北東隅の石垣は、鬼門除けで隅が削られた形になっている。
二の丸には、北東(丑寅櫓)・南東(巽櫓)・南西(未申櫓)の3基の三重櫓が現存している。
また、三の丸南の追手門、同・東門、四の丸北門(亀甲門)、二の丸東門(東内門)、同南門(南内門)の5棟の門が現存している。
いずれも周囲に土塁を築いて枡形を設けた二層の櫓門であるが、枡形前面に一の門として高麗門を設けていないこと、全体を簡素な素木造りとしていることなど、全国の城門の中でも古い形式をとどめた櫓門として注目される存在である。
お城めぐりは、本当に楽しいです。
いじめ 体験をされた方や仏教用語について勉強中の方にも、ぜひ弘前城を見てリフレッシュしてほしいものですね。