お城の歴史について

●犬山城

この城は、天文6年(1537年)現在の位置に天守閣が造営され、織田信長の叔父に当たる織田与次郎信康が城主となった。信康は、天文16年(1547年)斎藤道三を岐阜の稲葉山城に攻めたとき、戦死したので、その子織田十郎左衛門信清が城主となった。
 その後、何代か城主がかわり文禄4年(1595年)石川備前守光吉が城主となった。天正12年(1584年)3月小牧、長久手の合戦の際、豊臣秀吉は大阪より12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣を布いた徳川家康と対戦した。元和4年(1618年)成瀬隼人正正成が城主となり以後成瀬家の子孫が継いだ。
 明治4年9代目正肥のとき廃藩置県により廃城となり、天守と櫓を除く外は、ほとんど取り壊された。明治24年濃尾震災で天守の東南の付櫓と西北の付櫓、石落としの間などが壊れ、二階も大破した。明治28年城を修理するという条件で、旧犬山藩主正肥に譲り渡され、成瀬家の私有となり現在に至っている。国宝の城で、個人の所有というのは、この城が唯一のものである。
  昭和2年11月20日、昭和天皇が登閣された。昭和27年3月29日規制改正にともない、国宝に再指定された。
 全国で国宝に指定されている城は、犬山城のほか、姫路、松本、彦根の4つでその中でも、犬山城は最古である。
 なお、この城は、伊勢湾台風などで破損がひどくなり、去る昭和36年4月から総工費約6千万円で、石垣のつみ直しと天守の解体修理が行われ、昭和40年3月20日往年の姿に復元された。

【案内板より】

4月 16th, 2008 at 10:16:43


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