お城の歴史について

首里城

今日は、超有名!沖縄の首里城のご紹介をします。
沖縄家族旅行で夏休みに訪れたり、旅行の名所になっているお城なので、
行ったことのある方も多いのではないでしょうか。

首里城は、かつて沖縄本島で栄えていた「琉球王国」の城だったのです。
その創建年代は実は明らかではないのですが、最近の発掘調査では、最古の遺構は14世紀末のものと推定されるそうです。
また、2000年12月、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として、日本で11番目の世界遺産として文化遺産に登録されました!
首里城は、文化遺産として世界に認められている史跡なのですね。

では「琉球王国」とは、どんな国だったのか、簡単にご説明を。
琉球王国は、1429年に尚巴志(しょうはし)の三山統一により成立されました。
15世紀に明の冊封国となり、17世紀初頭(江戸時代)に薩摩藩(日本)の国になったのです。

明治時代の1871年の廃藩置県で鹿児島県下に編入されたのですが、1872年には琉球藩となり、
1879年の琉球処分によって、今度は沖縄県が設置されました。
王統の統治権がなくなって、約450年の歴史に幕を閉じたという王国なのです。

この首里城、場所は那覇市にあります。国際通りからもタクシーで15分程度の距離です。
沖縄はシュノーケリングツアーなどももちろん楽しめますが、時間があればここも是非立ち寄ってみてください。
素晴らしい世界遺産をみながら、日本の歴史のロマンにどっぷり浸ってみてはいかがでしょうか(^^)

4月 7th, 2009 at 12:09:33 | Comments Off | Permalink


周山城

前回に引き続きマニアックなお城を紹介したいと思います。
今回は周山城。知っていますか?所在地は京都府京都市右京区京北周山町にあるそうです。

明智光秀が築城した城としては、坂本城や亀山城、福知山城が有名かと思いますが、今回取り上げている【周山城】というのは、あまり知られていないのではないかと思います。何年か前に、何かのテレビ番組でこの周山城の石垣が紹介されていたかと思うのですが、こんな城があるのだと改めて知り、すこし感激しました。そのかなり後に周山城を1度訪れてみましたが、本当にみごとなお城。ただこの周山城については、明智光秀の築城ということもあってか、まだよく分かっていないことが多い神秘な(?)お城なようですね。お城ファンは1度見に行かれても損はしないと思いますよ!

お城めぐりをしていくと、本当に全国各地に大小問わずにいろいろなお城があるな~と感動してしまうのですが、実は古墳や有名な人なんかの大きなお墓めぐりとかも結構好きなんですよね。ここお墓か~!!みたいな。今当たり前に見ている、墓地などにあるその家その家のお墓とは本当にスケールが違って(当たり前なんですが)、ここの中はどうなっているんだろうとか、ここはどういった経緯から作られたんだろうとか、想像していると楽しいんですよね~お城めぐりは、わたしの悩ましき頭痛の治療にもなっているんですよ(笑)

お城も昔からあるものですし、長年変わらず残っているものって本当に感動しますよね~!マイホームなんて建て替えても100~150年ももたないのに・・・と考えると、昔の人って本当にすごいなという気持ちになりますね!

おすすめサイト⇒ 骨盤矯正の体操とは・・・
おすすめサイト⇒ 坐骨神経痛は体操で改善できる?

3月 19th, 2009 at 11:42:13 | Comments Off | Permalink


高岡城

高岡城は明治8年(1875)に公園として開放されて以来、市民の憩いの場となっています。それが古城公園なんですが、なんと小さな動物園まであるんだとか。公園内には高岡市立博物館まであり、昔は図書館もこの古城公園内に合ったんだとか。体育館もあるそうですよ!

この高岡城は加賀百万石の2代藩主・前田利長(1562-1614)の隠居城として、慶長14年(1609)に築かれたそうです。

ここではお城めぐりとして色々なお城について書いてきましたが、高岡城については完成仕切ってないんだとか・・・?作っている途中に一国一城と定められ、途中となったお城がそのまま残されているみたいです。全国各地にこんなお城があるんでしょうかね。古城公園の見た目は全体的に「森」という雰囲気なので、お城自体も小さいし目立たないんですけどね。富山城の方は最近とても奇麗になりました。

そんな高岡城というのはなかなか雰囲気のあるものですが、やっぱり家族づれやカップルが集まるところはお城より古城公園内にある、小さな動物園なんですって。さすがにここにあるお城は淳さんも知らないかもしれませんね。ちなみに私の一番好きなお城は名古屋城です。はじめてみた時は本当に大きくてびっくりして、しばらく見入っていました。一度石垣が作り直されたドキュメントをテレビでやっていて、ますます好きになりました。

おすすめサイト→高校入試について家庭教師とはどんなもの?

2月 24th, 2009 at 15:40:22 | Comments Off | Permalink


●城郭マニア

城郭マニアで有名な芸能人と言えば、ロンドンブーツ1号2号の田村 淳ですよね。
お笑い芸人でありながら、自他共に認める城郭・戦国マニアで、NHKの『その時歴史が動いた』のナビゲーター役の座を狙っているのだとか。
残念ながら、松平定知アナウンサーもこの番組にかなり思い入れがあるようなので、それは無理だろうとNHK出身のアナウンサーが語っていました。

それにしても、淳さんのマニアぶりはすごいです。
城郭の写真を見ただけで、どこの城かを即答できますから。
普通、メジャーなお城なら分かるけど、少しでもマイナーになってきたら分からないですよね。
私もお城にはいろいろ行っていますが、行ったことのあるお城でも、即答できませんでした。
もし、センター試験の科目に城郭があったら、間違えなく彼の偏差値が一番高いでしょうね。

9月 26th, 2008 at 9:54:04 | Comments Off | Permalink


●お城違い・・

今回は余談になりますが、私の失敗談をお話します。
つい数ヶ月前のことなのですが、ありえない失敗をしてしまいました。

ひこにゃんに会いたくてお城を目指してきたのですが、何を思ったかどうやら違うお城に来てしまいました!
私ってかなりの方向音痴?
いやっ!それ以前の問題かも・・・。
メニエール病になってから体の調子もそうだけど、何をしてもうまくいかなくなりました。
いきなり発作が起こったり・・・。
めまいがひどいときなんて、立っていることさえツライ・・・。

実を言うと、病気のせいにして自分が間違ったお城に来てしまったことを隠そうとしている・・・。
まぁせっかく来たのだからこの旅を楽しんで帰りたいと思います。

それにしても、彦根城は関ヶ原の戦いに抜群の力を発揮した井伊直政が佐和山城に移ってきて、城を彦根山に移そうと考えていたときにも関わらず、病死してしまったという・・・
父の意志を受け継いだ息子の直継が彦根城を築城したといわれている。
現代では父親としての立場が弱くなってきているのに・・・昔の人はすごいですね!

9月 24th, 2008 at 10:27:03 | Comments Off | Permalink


●大阪城

誰もが知っている有名なお城、大阪城。
安土桃山時代から江戸時代の初めには城下町が日本の各地に建設されました。
石垣や堀で囲まれた城には天守や櫓がそびえ威容を城下に誇っていました。

安土桃山時代には金箔を貼った豪華な瓦の城も出現。
城に近い場所には役所や上級家臣の屋敷が置かれていました。
その外側には下級家臣の屋敷や町人地のほか、お寺や神社が建設されていました。

春には桜がキレイなことで有名ですね。
ここ大阪城公園内には4千3百本もの桜が咲きます。
日本桜の会が選んだ「さくらの名所百選」にも西の丸庭園が選ばれています。
石造りの巨城と言われ城域が四方2キロを越し難攻不落の城とも言われました。
でも冬の陣のあと徳川軍の手で外堀が埋められ、1615年夏の陣で落城炎上してしまいました。

何でも完璧なものってないんですよね。
ただ先日知人と話していた記帳の仕方は完璧にしないと後で後悔することに。
その知人は消費税の原則課税をきちんと把握していなかったために申告が完璧ではなかった。
そのためにもう一度申告・納税に加え、思いもかけない出費に。

大阪城のように完璧といわれる城のように、周りのフォローを固めておく必要ありだとか。
城も多くの人の協力があってこその巨大建築物。
仕事も同じようなことが言えるのではないでしょうか。

9月 22nd, 2008 at 10:00:58 | Comments Off | Permalink


●松本城

松本城は前身を深志城といいました。

この地方に権勢を張っていた小笠原氏の臣、島立貞永が、戦国時代の永正元年(1504年)、
豪族板西(ばんざい)氏の敷地に創建したと伝えられています。
後に32年間、武田信玄の進出拠点となりましたが武田氏の没落後は、父祖の地を継いだ
小笠原貞慶が松本城と改称しました。

豊臣秀吉に8万石の城主に任ぜられた石川数正が五層六階の天守閣を
文禄年間(1592~95)に着工し、
慶長2年(1597)頃、数正の子の康長が完成させました。

徳川幕府下では城主が六度入れ替わりましたが、五番目の水野氏は年貢の
取立てが厳しく、三代忠直のとき「加助騒動」と呼ばれる農民の反対デモを誘発しました。
だまして帰した農民の代表だった多田加助以下28人を打ち首の極刑に処しました。
その処刑に際して地震が起こり城が傾いたと言う伝説も残っています。
加助らを祀る城山からは約45年ほど前に数人の人骨が発見されました。

江戸中期には火災のため本丸など失い、明治5年には天守や門などが競売されかけましたが、
地元の有識者の努力により天守だけは保存される事になりました。

年中無休で8:30~16:30まで営業しています。
料金は高校生以上600円、小・中学生は300円です。
JR篠ノ井線松本駅から徒歩15分です。

現存する貴重な天守閣を、ぜひその目で鑑賞してみませんか?
天守閣からの眺めも◎ですよ!

※オススメサイト⇒ネットマーケティングの効果
※オススメサイト⇒販売促進.com

6月 25th, 2008 at 13:25:36 | Comments Off | Permalink


●犬山城

この城は、天文6年(1537年)現在の位置に天守閣が造営され、織田信長の叔父に当たる織田与次郎信康が城主となった。信康は、天文16年(1547年)斎藤道三を岐阜の稲葉山城に攻めたとき、戦死したので、その子織田十郎左衛門信清が城主となった。
 その後、何代か城主がかわり文禄4年(1595年)石川備前守光吉が城主となった。天正12年(1584年)3月小牧、長久手の合戦の際、豊臣秀吉は大阪より12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣を布いた徳川家康と対戦した。元和4年(1618年)成瀬隼人正正成が城主となり以後成瀬家の子孫が継いだ。
 明治4年9代目正肥のとき廃藩置県により廃城となり、天守と櫓を除く外は、ほとんど取り壊された。明治24年濃尾震災で天守の東南の付櫓と西北の付櫓、石落としの間などが壊れ、二階も大破した。明治28年城を修理するという条件で、旧犬山藩主正肥に譲り渡され、成瀬家の私有となり現在に至っている。国宝の城で、個人の所有というのは、この城が唯一のものである。
  昭和2年11月20日、昭和天皇が登閣された。昭和27年3月29日規制改正にともない、国宝に再指定された。
 全国で国宝に指定されている城は、犬山城のほか、姫路、松本、彦根の4つでその中でも、犬山城は最古である。
 なお、この城は、伊勢湾台風などで破損がひどくなり、去る昭和36年4月から総工費約6千万円で、石垣のつみ直しと天守の解体修理が行われ、昭和40年3月20日往年の姿に復元された。

【案内板より】

4月 16th, 2008 at 10:16:43 | Comments Off | Permalink


●彦根城

この彦根城は、慶長5年(1600年)井伊直政が、関ヶ原の戦いに徳川四天王の一人として抜群の功をたて、この戦いに敗れた石田三成の居城佐和山城を与えられ、慶長6年(1601年)上野の国高崎城から佐和山城に移ってきた。
その後直政は城を彦根山に移そうと考えたが実現せず病死し、慶長8年(1603年)その子直継が父直政の遺志を受けて彦根城の築城に着手した。
時の将軍家康は特に奉行を差し向け7ヶ国12大名にも応援させ、元和8年(1622年)現在の彦根城が完成、築城をはじめてから実に20年の年月を要したもので、城地面積約0.25Km2 (75,800余坪)周囲約4㎞(1里)高さ約50メートルの彦根山に築城した平山城である。
昭和26年(1951年)に彦根城天守閣をはじめ天秤櫓・太鼓門櫓・三重櫓・佐和口多聞櫓を重要文化財に指定され、さらに同27年(1952年)には天守閣を国宝に、同31年(1956年)には彦根城一帯を特別史跡に、同38年(1963年)に馬屋を重要文化財にそれぞれ指定されている。

【案内板より】

4月 13th, 2008 at 10:11:20 | Comments Off | Permalink


●駿府城

今から約650年昔の室町時代、今川範国のりくにが駿河守護職するがしゅごしょくに任じられて以降、駿河国は今川氏によって治められました。
9代義元よしもとの今川氏全盛の頃、徳川家康は7歳から18歳までの間、人質として駿府に暮らしました。
永禄3年(1560)今川義元が桶狭間おけはざまで織田信長に討たれた後、今川氏は急速に衰退し、永禄11年(1568)武田氏により駿府を追われました。
徳川家康は、駿府の武田氏を天正10年(1582)に追放した後、同13年(1585)には駿府城の築城を開始し浜松城から移りました。
しかし徳川家康は、天正18年(1590)豊臣秀吉により関東に移封され、豊臣系の中村一氏なかむらかずうじが駿府城の城主になりました。
その後、徳川家康は、関ヶ原の戦いに勝利し、慶長8年(1603)に征夷大将軍せいいたいしょうぐんに任じられ江戸幕府を開きます。
慶長10年(1605)に将軍職を息子秀忠ひでただに譲り、同12年(1607)には大御所として三たび駿府に入りました。
この時に天正期の城が拡張修築され、駿府城は壮大な新城として生まれ変わりました。
城には三重の堀が廻り、堀に囲まれた曲輪くるわを内側から「本丸」、「二ノ丸」、「三ノ丸」とする典型的な輪郭式りんかくしきの縄張りとしています。
大御所の城にふさわしく、築城に際して「天下普請てんかふしん」として全国の大名が助役を命じられ、各地から優秀な技術者や多量の資材が集められました。
また、安倍川の堤の改修や、城下町の整備なども行われ、現在の静岡市街地の原形が造られました。

【案内板より】

4月 10th, 2008 at 10:10:40 | Comments Off | Permalink